//古本 文文庫  販売リスト//

当方埼玉の片田舎にて、街の古本屋を、35年に亘って、営業してきました。私の好みで集めてきた本を、リストにしたものを公開していますので、ご覧いただければ幸です。なおかつご注文いただければと思います。よろしくお願いいたします。夕方5時くらいから9時まで、店を開けています。何かあれば休みますが、たいがい開けています。

11月新入荷分  シナリオ 空き缶ユートピア 井上ひさし/   

美術bijyutu.htm 美術2bijyutu2.html

  日録

思い出として記憶に残るだけになる。写真を全部捨てる事にしたけど、妹が待ったにした。記憶が無ければ写真は意味を持たない。、

昨日のランチはお肉を食べにステーキガストに行く、クオカードの使えるお店なので。食べ放題があるので、人がやたら行ったり来たりする。実に庶民的な感じがして素敵だ。私たちはスープだけが飲み放題なので、二度立てば済む。これも素敵だ。

実家の整理を終わらせた。

真っ赤な太陽が沈む所、左側にうっすらと富士山のシルエット。

新しいパソコンを使いはじめました。

陽が少し長くなった。納豆を食べる時、オリーブオイルに粗引きこしょうに醤油を少しです。

時間の流れの速い事、驚きだが、記憶に何も残らないせいだ。実家の片付けも終わりに近い。

スケートを見て、本田さんは見ていて、きれいだなと思って最後まで見た。宮原さんはきれいというのとは違って、わざのきれがいいと思ったが、途中で見るのを止めた。

今年も後一週間、なんにもなくて終わりになりそう。

一人で実家の片付けに行く。思ったより片付いた。

実家の色々なものを、持ってきて売ったりあげたりするのは、手間の割りにはお金にならないのだけど、使われて生きる事が目的なので、充実している。出来るだけ捨てない方向で片付けたいと思う。

昔の写真を見ると、髪の長い私がいる。生気の無い、気がどこかにいったような、希薄な私だ。妹は古い写真を見て泣いているけど、それほどの事ではないと思う。

毎週実家に行って片付けを始める。親の思い出を壊していくわけだけど。

9人を殺して、一緒の部屋にいて、平気な神経は怖いと思う。

企業が嘘付いて、儲けているのは、許せない。嘘がばれて、謝っているけど、こんな企業はつぶしてしまうのに限る。根が腐っているのは、もうもたない。

岩波が、広辞苑の新版を出すと聞いて、少し違和感、あの重たい本が、と思うのだけど、もしかすると、流行なのかな、豪華な美術本とか、手刷り版画の豪華絵本とか、広告で見るようになった。

先日、息子の結婚式で沖縄に行ってきた。スピーチをしたのだけど、嗚咽ではっきりと喋れなかった。沖縄の建物は屋上部分が素通しのコンクリートの囲いで出来ている、屋上には植木鉢などが置いてある、屋上で涼むのかな。初日に大綱引きを片付けている所に出くわし、縄を数本拾う。二日目に結婚式、向こうとこちらの家族だけのこじんまりとしていい式でした。三日目には、ゆっくり帰る。空港からモノレールで終点の首里まで行き、遠くから首里城を眺めて、空港に戻ってきました。

カズオ・イシグロさんの本は1冊ももっていない。新しい小説家だから。本はよくあるので売れているらしい。インタビューで英語を話していて、随分と魅力的な人に感じている。興味深い。

駅で共産党の街宣車が3台もあって、左と右が良く似ている図。先日ラピュタを見て、男の子の夢の冒険譚だと思った。

稲刈りは大変で、生育不足に潰された稲、機械では難しいみたい。帰りがだいぶ暗くなっていて、また寒くなっていく。

父の洋服を整理する。ネクタイの量がすごかった。まだ途中。

寒いまま9月に入って。武井さんが妊娠で結婚、印象はいい。

高倉健さんが、苦いからコーヒーを飲むと言っていたので、真似をして、同じ帰り道にあったコーヒーの卸しやさんに行き、一番高いブルマンを豆で買って、ミルで挽いて毎日飲んでいた。近くに写真館があって、そこはあまり記憶にないのだけれど、何度か行っているみたい。神保町の交差点のタバコ屋でタバコとチョコレートを買い、帰ってチョコは一齧して、あとはお膳の上においておく。

神保町の仕事先に西神田から通っていた。帰りレコード屋さんに寄ってレコードを買っていた。当時¥2500ぐらいして、月に1枚か2枚ぐらい、主に日本のフォークソングで、荒井由美、浅川マキ、など

悪い人はどこにでもいる。楽にお金を得たいと、人を騙しても平気で、自分がいい気持ちなら、ほかの人はどうでもいいんです。そういう人の人生は、結局何かが抜けているんだけど、抜けている事自体知らないし、知らなくても決して構わなくて、生きていける。

雨が多くて、涼しくて。

今日になって腰が痛くて、死にそう。墓参りに行く。帰ってきたら少し楽になっていた。雨は夜の内で、昼間はもっている。妹が来ないので、お線香を大分燃やす。成城石井でチーズケーキをお土産に買う。

日曜日から旅行に行く、青春18切符を使い、まず朝5時頃に出る、川越からJR線に入り、八王子経由で中央線に入る、乗り換えしながら、奈良井でお昼休憩、40年くらい前よく行っていた所で、懐かしくあまり変わっていないが、お店が増えている、岐阜で一泊、翌日息子の家に行き、孫と遊ぶ、台風が来ていて、電車が間引きされていて、少し苦労したが三河安城に到着、食事には出にくくホテル向かいのコンビにて夕飯を買ってきて食べる、台風がちょうど来ているので、風と雨が凄い、翌日電車は少ないなりにスムーズに行く、クッションはだいぶ役にたった、清水の魚市場でお昼、三保の松原を見学して波の荒い海辺に出る、再度電車に乗り、熱海で乗った電車が宇都宮まで行くので、途中一度乗り換えて川越まで戻った、乗り換えした駅で花屋の前にいたら、邪魔と言われた、確かに人の通り道に立っていたので、邪魔だったので、移った、最悪混んでいる時間帯だったから。

稲の穂が、もう少し垂れてきた。

夏休みに入ってから帰りバイパス沿いの道は子供たちの自転車が、あぶない。中年の女性がディズニー詐欺で捕まったみたい。この人はなんで他人からお金を取ろうとしたのだろうか捕まらないと思ったのだろうか。馬鹿げているが、詐欺師だとしたら頭はいいのかも。

新しいスーパーに行く、家内が最近行くようになって、良さそうと言うので、なにか少し足らないのだけど、それなりに使えるみたい。

昨夜は涼しくて、窓を開けてクーラー無しで寝ていられた。ここの所、レコードが発売されていて、少し戻ったみたい。まだ中古屋さんは少ないみたい。

朝汗かいて到着するのは、初めてです。帰りは少し涼しい風がある。

長い時間車に座るはお尻が痛くてしんどい。なにか座布団を考える要あり。ここにいるのは気にならないが、違うのかな。

七夕だけど、特に無し。趣味はあっていいのだけど、犯罪に関わるものは、いつかは露見してしまうので、しないがいい。

自然に赤ワインがおいしい。京都のお漬物はおいしい。

奥さんが、家の中を整理していて、捨てるものが出ている。わたしが以前買ってきた丼を捨てようって言っていて、ラーメンや親子丼を作った時はどうするの、という感じなのだけど、まあ無くてもあまり支障はないかなと考える。なにごともどうにでもなるものである。実家から持ってきたものを、取っといたらと言うのだけど、結局使わないに違いない。今夜はわたしが料理を作る。バーモントカレーの甘口で、業務スーパーでオーストラリアの赤身の牛肉を使う。ビックエーで、サントリーの赤ワインを買ってきてちょっと飲む。300円ぐらいなので、一番安いが、味はワインだ。

ここの所毎週実家に行く。来週も行く事になった。あの引いて歩く車をつかつて楽だった。

靴は履けて安くて、デザインが気に入ればいいので、ろぢゃーすで買っている。たまに行って気に入ったものがあれば買っておいて2足交代で履く、駄目になってきたら、2足毎替える。長持ちはしなくていい。いい物を長く使うなんて、ストレスが溜まる。飽きるのだから捨てて新しいものに替えるのがいい。いい物や貰った物は捨て辛いけど、執着する気持ちは無い方がいい。気に入ったものをいつまでも使うのが落ち着いていいように言うけど、嘘です。

実家の片付け、少し進みそう、電気製品を交渉する。ここの所べらぼうな暑さがない。片付けもあまり暑くなくて楽だ。記事がいろいろとたいへんみたいだけど、落ち着くのを待っている。生活に満足すると、あまり望まない。

昼ごはんはおにぎり2個とパン1個に野菜ジュースを330に、今度はチーズにゆで卵をつけてみる。

梅雨に入ったようで、曇ってばかりで、幾分涼しい。土曜日は法事なので、涼しいのは助かる。

田園地帯を通る、緑が濃くなってきて、水が涼しげ、夕陽がまぶしい。

帰り、夕立に遭う、最初大粒の雨がぽつんぽつんと来るが、黒い雲の切れに居るのでどうかなとおもっていたけど、やはり駅の方に向かう時に、合羽を着た。土砂降りもたまに来た。

カーレースで優勝した佐藤さんに対して、不快と言ったアメリカの新聞記者の態度は潔い、名前を出して、なおその言葉に責任を持って、自らの間違いを認めて謝罪した。彼を責める事は、誰も出来ないと思う。

つまらないバライティ番組ばかりで、どういうつもりなのか。頭悪いんじゃないの。芸人さんの司会は、どの人もつまらなくて、安直で個性の欠如甚だしい。時間潰しに作った番組で大事な休息が乱されるのは許しがたい。

久し振りに実家の片付け、さほど変化なく終了、もう少し捨てるものを出したい所だ。

昨日は自転車で遠出、板橋のお寺に行く。すごい炎天下で、日焼けしてきつい、帰りは追い風で、荒川の土手は楽だった。今日も暑い、頭を刈ってくる。そういえば土手はキャタピラの除草の車が何台も走っていて、きれいになっていた。随分斜めでも大丈夫みたい。

お昼に野菜ジュースにおにぎり2個とパン1個食べているけど、どうももう少し野菜を入れたいと考えている。

ここのところ行き帰りに走っているバイパスの歩道がゴミだらけになっているので、気持ちが悪いんだけど、自分で掃除しろと言われそうなのだけど、自分でするのは嫌なんだけど、なんとかならないのかねと思っている。雑草は刈ってくれるんだけど、それと一緒にきれいになればとおもっています。

死んだ人の記憶、実家にはいなくなった父母の記憶のこびり付いたものが溢れている。私との接点は多くないので、捨てていく事を躊躇しない。手紙の類は見ない、写真は最後に残る。写真は記憶の接点。

椎名林檎を聞く、想像をもやもやと湧く感じに拡がって心地いい。セクシーで、攻撃する心地良さ、なんか良く出来た音。トマトのシチューを作る、半分なのでジャガイモ1個タマネギ2個ニンジン半分トリ1枚、キャベツにシーチキンのサラダ凍ったトマトも入れる、冷や奴に納豆、もつ煮込み、娘も食べる。母の日に赤いカーネーションが届く。雨の1日、出かけず。

かばんの雨除けのビニールカバーを買ってきた、使い始めにジッパーの所に穴が開く。やはり安いものなので、駄目だった。

帰り土砂降りに遭いびしょ濡れになる。女の人が死刑になるそうだけど、どうも死刑という刑罰には違和感があってなんの意味があるのかわからない。あなたは人を殺したのでその罪を償う為に死んでもらいますって、罪を償うには生きていないと出来ないわけで、殺したらその罪は問えなくなりはしまいか。被害者の遺族にとっても何等の解決にもならない。犯罪者に死という安らぎを与えているにすぎない。死は懲罰ではない。

台湾料理のごはんを食べる。メインの料理にラーメンが付くので、量がある。メイドさんは台湾の人みたい、料理人はたくさんで、熱々で春巻でヤケドする。

しょうぶが売っていたので、買ってきてお風呂に入れる。行事として入っている。効果はあるのかしら。だいぶ暑くなってきた。

だいそーで、乾電池式の灯かりを買ってくる、マグカッブを買う、模様の無いのにした。お茶碗も模様のないのにしようと思っている。割れないけど、替えたい。今度長袖シャツも替えようと思っている。じじくさいのはじじいになりそうで嫌いだ。実際はじじいなんだけど。guを見てくる。子供や女を捕まえて、爆弾にして、敵対する人間を殺すのは、卑劣な事だけど、非人間的な事とは言えない。哲学が、殺人はおかしいと教えてくれるが、なにもなければ人を殺して金を取る事に是非も無い。

韓国にとって日本は戦犯国家というニュースを見たけど、こういう悪意に対しては政府は断固とした態度を取って欲しいのだけど、どうも甘いし、うやむやにしてしまうので、失言失職議員はなにかやってから辞めなさい。

東北と、云ってそういう考えの人はいらないと言われて、辞めさせられる。官は民をいかに効率良く治めるか、情はいらないとしている。効率が大事です。まだ朝が寒くて、早く暖かくなってほしいものだ。

そう云えばくら寿司では無添という言葉は重要らしいが、背中に書いてあるけど、待っていてなんの事でなんで背中に書いてあるのか、考えていなかったけど、目にチラチラ入ってくるので、なんの事て思っている。

風邪を引いていて熱もあるようなのだけど、無視して出かける。ビールを飲んで眠いのだけど、ちゃんと駅で降りる。半分ボーとしているが、気にしない。武井さんは貴族はつまらないけど、あの3人は秀逸なので、なんとかいけてる。ゴウリキのはなんか面白くなりそう。レンタルも良かったし。

お寺の後、下のくら寿司へ行く、待つのが1時間、お寿司は2人で9皿、風邪で眠いこと。落語家はいい着物を着ていて落語を話すのは違うんじゃないのと思う。今日の夕飯はシチューを作ったが、食欲が無くて、ご飯粒を食べなかった。

明日はお寺。新作で桐原のは、お話の流れが、ぎくしゃくしてて見てられない。二万三万の洋服を買って着ている人は別人種だろう。おばさんやおじさんがそれっぽい年齢の服を着ているのは、なぜだろう。よしむらさんはいいですね。

自分を認めないでいい、自信も無くていい、仕事も出来ないし、ただそのままでいればいい、そこで安んじよう。

朝から北風で寒い、帰りは向かい風で、まともに走れない、風で倒されそう、寒い。

夜中何度かトイレに起きるのは、歳のせいであまり良くない事に言われていますが、わたしにとっては少し気分がいい。いつも起きる時間の少し前なのは、特にいい。新河岸川の橋の上から帰りに見るのだけど、緑の土手に黄色の菜の花が咲いてすがすがしい眼に贅沢。帰り小降りでカッパを羽織ったけどひどくならない内に済んだ。人がおいしいとか云うのは、ぜんぜん信用しないので、行く事は無い。

壁を乗り越えていく若手が出てきた事、天才だ。

わたしの記憶がすべてであとは無に同じ、わたしがいなくなればなにも残らない。

記憶が、私の存在の保証で、写真や家族の記憶で、成り立っている。それが無いとしたら、

今日はまともに風に向かう。寒い事、首が。

行き帰り合羽を着る。帰りは風も強い。向かい風らしいけど、たぶん少し左寄り、まともではない。雨上がり、黒い地面に桜の水玉模様がびっちりと敷き詰められている。でも雨は降っているわけで。

まだ少し寒く首周りにマフラーを巻いてちょうどいい。孫の顔が見たいなと思うと焦燥感が湧いてくるので、あまり考えないようにしている。

よく雨が降って、3時まで、出かけられず、その後買い物がてら桜見物、だいぶ桜も散って、八重桜が色づいてきている。もこっとした濃いビンクの花がもう咲くかという感じ。

すごい南か西の強風で桜が少し落ちていく。椿の大きい赤と白の花が散って、道の端に吹き溜まっていてる。向かい風でない事は幸運だ。

砂川堀の桜は見ごろです、富士見のゴミ処理場の桜と、榛名神社の背の高い桜、農家の敷地内の桜、小学校の裏の桜と、今日は帰りに随分見てこれた。

周五郎の作品は少し甘い所もあるのだけど、人生を肯定し、誠実である事、裏切らない事、そんな主人公が生きています。

珍しく、帰り土砂降りに逢う、バイパス沿いに走っていて稲光と雷の怖い事、偶然当たるのは出来れば避けたいけど、何パーセントかは、死ぬ機会があった。途中でカッパを着て、帰る。

普通の無名の私は、誰かの記憶にも、残らない。店に来た30代くらいの人は、福武文庫は知っていても、教養文庫は知らない。シミのある本は捨てられてしまい、知らなくてもいいけれど、絵の中に記憶されてのこっていく。

差別とはなにか。自分と他人は別々のものなので、そこで自分が他人を見下した場合に差別が攻撃として現前する。見下す理由は、色々あるのだけど、意味はあまり重要ではない。これは自分の心の中の問題で、他人に対して興味がなく自分の存在に邪魔であれば、排除したいと思う気持ちである。自分を生かすには、本来、他人を思う気持ちがなければ、何等成り立たないのではなかろうか。肌が黒い白い黄色いと云ってあるいは褐色とか、私は黄色いらしいけど。見下したり卑下したりする意味はない

作家の方が来られて、本を見せていただいた。小説なので、興味が無いので、お断りしたのだけど、家内が買うというので、今度いらしたら、買う事にして、リストに載せる事にする。

なかなか暖かくならなくて、桜も二の足を踏んでいる。二の足を踏むというのは自分の意志があるけど、桜は固い。テレビで8人も亡くなって、説明をしている人は、変な感じがして、なにか違うなあと思う。なんだろうね。

だいぶ前に父が亡くなって今住んでいる土地の名義を変えた。普通頼むらしいけど、自分でやった。法務局に何度も通って書式を聞くが、毎回新しい事が出てくるので、提出の日も書き足す事になった。次回もまた同じ事をするだろう。その後、不動産屋からダイレクトメールが届いた。私の個人情報が誰でも見れる状態にあるようだ。

新聞を読んでいる。三ヶ月毎に読売毎日朝日を順繰りに読んでいる。今は朝日、最近の紙面は一面広告が多くて、広告を飛ばして記事を読む、テレビ欄から逆に進んでいく。しばらく前から、一面広告が多くなったようです。たまにそれで驚きます。先日はアカデミー作品賞の映画の宣伝の広告は数ページにわたっていました。でもこういうのは独りよがりで、興味の無い事は見ません。富士見のゴミ処理場に桜が2本咲いていて、来週にはその桜は散って他の木が咲き始めます。

一日雨、傘差して自転車は年寄りには危険なので、それに違反なので、出かけない。ビデオを見る。

志木へ行ってみたが、どうしたのか何も無い。途中の2軒にもほとんど無し、岩波の八犬伝は、私には読みづらい、吉川さんの三国志の新しい文庫は知らない所のだけどどうしてだか小さい活字だった。簡単に昔のままなんだろうね。

北風に向かって走るのだけは、慣れない。中学生たちの強い事。

歳のわりには、意外と体が持っていて、虚弱かなと思っていたけど、突然来るタイプかも、一月で一キロも増えて、少し太った言うけど、どんな顔なのか、興味津々。

福島第一原発の経過を見ていて、怖い事に映画の「渚にて」のラストを想像している。昔、原発はすごく安全ですというテレビを見た覚えがあるけれど、疑っていた。不安要素を一つ一つ潰していって、尚且つ考え続けて、時間と資金をかけて、いろいろな人たちと、考えて、それでも不安があれば、人間の絶滅の危機を回避するべく、止めるべきだったんだよ。もう遅いのかも知れないけど。

テレビで聞いたりした人の曲をパソコンで聴いたりする。最近はウインタープレイやチャラン・ポ・ランタンを聴いた。チャイチー・シスターズも洒落ていて好きだ。そういえば値段が以前のに戻っていました。どうもなんでもかんでも高く着けてったのが止められたのは良かったです。

趣味は人それぞれで、私は本が趣味だけど、気に入ったものを集めたり、洒落たものを入れたりしている。変態的な趣味もあって、人には言えないのもあって、出来れば犯罪にはならない所で集めたりする。こういうのはあまり熱中すると度を越してしまい犯罪になり、捕まったりする人がいるけど、趣味はあくまで、気晴らしであって、生きがいとは違うものだ。

共産党の街宣車が走っていて、阿部さんがどうしたとしゃべっていて、最後に日本共産党の赤旗と言ったのだけど、久しぶりに聞いた名前だけど、随分古く感じた。古色蒼然とした名称は何百年もの歴史のあるものもあるのだけど、ありがたみはわからない。

アナウンサーの加藤綾さんは、顔の印象が実にはっきりしない。記憶に残らない。ひっかかる個性がわからない。

アリはいろいろな生活があり、奴隷にされてごはんまで口に運ばされて、甘い汁を貰って食べさせて住まわせてあげて、それでも文句言わずに生きている。他を軽蔑してはならない。他に対して、寛容であるべきだ。

トレファグにこだわらなくてもいいようなので、違うリサイクルショップを探す事にします。新小岩には、意外とたくさんお店がある。

昨日の文はテレビを見ていてイメージした。差別はしていないつもりなのだけど、中国製造のものは買わないと決めているのは、差別だと思う。業務スーパーとかいいだなんか中国ものが多いので、注意して買わない。ビックAは少ないので、安心している。それでもうっかりする事があるけど、その場合は平気で食べる。

放射能で住めなくなって、無人になった町、記憶は6年の経過を、一瞬で飛び越してくる。わたしは、ここにいつも戻ってくる。不意に追い立てられた、産まれた家は、消えない。

ことばがイメージを膨らませて、存在が希薄になり、こころに焦燥がわだかまって、死が目前で、立ち止まっている。集中し過ぎると、空間に身を投げ出すが落下は無限ではないので、意識は消滅する。これは固定化で、絡まったまま反古にされて、足元に崩れてしまう。目の前のものを掴み取って、ただ眺めている。時は過ぎていくのに、わたしは考えない。

女性に関して、いろいろの声や映像や活字を見る。無知から来る差別は、人間の尊厳を脅かす。読まなければ、読んで知らなければならない。

日が長くなってきて、帰り陽がまだ高い、今日は雲に隠れてオレンジ色の光りが溢れていてきれいだった。ファックスはもうスミソニアン博物館にあるくらい前近代の遺物らしい。ただレコードとかカセットなど、何故か復活したものもあったりして。スマホにすべて収斂して間に合う世界になるに違いない。

池田さんの本が読まれていて、まだ絶版になっていないのはうれしい事ですが、全部文庫で出ているわけでは無いので、集めづらい。

最近、家内はスーパー銭湯に凝っている、先夜も9時から出かけて12時頃帰ってきた。「いき」とは、「粋」「意気」とか書くけど、おしゃれでいさぎよく、衒いは無く、こだわるところは適当で無く、ゆっくりと自分にぴったりのものを見つけていく。

出版社も大変らしくて、以前とは趣きが違っているようです。

バイパスの歩道は3月からの、開通をあわせていたみたいです。でも いつから通行止めになってたのか、思い出せないです。出口の花束とジュースとお菓子は、今日帰りには無くなっていました。付けた人が外すのは早いでしょうから、歩道のガードを外した時に一緒に片付けたんでしょうね。標識の下に点けてあったから、標識を管理している所でしたら、片付けないとね。

バイパスの歩道が開通した。出口の花束にはジュースとお菓子が隣りの標識に括り付けてあり、亡くなったのは子供のようだ。バイパスを出て、交差点の信号を待って渡ったのだけど、渡った途端、止まっていた車が急に赤信号なのに、走り出した。なんか勘違いする信号なのかも知れない。

すこしだけど、2階が片付く、実家もそうだけど、家も減らしていかないと。

いいだでお魚を買って帰る。BAの方が野菜は安いので、ここでは買わないがお魚は買う。中のは買わないようにしているが、うっかり製造の確認を忘れて今回も買ってきてしまった。BAはその点大丈夫なんだけど。

間違いは起こるものなので、責めないで、毎日積み重ねて、間違いを減らそう。凄い北風に向かって帰ってくる。

帰りバイパスの出口に花束が括り付けてあった。事故でだれか亡くなったのか。通行止めになって随分経つのだけど、自転車はここから中に入って迂回していくのだけど、右側走行していく人が多くて私は朝、車道の左側を通行していくと前から来る自転車がいます。早く自転車と歩行者は通して欲しい。新幹線で、2人席の窓側に鞄を二つ置いて通路側に座っている人がいました。眠った振りしていました。名古屋で座れない人がいました。自分勝手な人ですが、非難は出来ません。自分だってそれに近い事をしているから、ただ付き合いたく無い人です。

フィルムカメラが2台あって、簡単なニコンのだけど、今は簡単なものは、需要が無いみたい。フィルムカメラはまだ使われるのか。生産中止なんて事にはならないのか。

帰りにまた黒い煙りが棚引いていて、火事でした。ネット通販の文房具さんで、なかなか消えないみたい。

まだ風が強いが少し気持ち暖かい。

パルムの箱入りの小さいのを冷凍室から出して、少しおいてから食べるとおいしい。

好きな谷口さんが亡くなって残念に思います。まだまだ書いて欲しかった。

いよさんがあんなに言われるのは、悪意があるんだろう。みんな間違えるのに、自分だけはしないような顔をしている。

久しぶりに雨と思いきや雪ぽい、帰りも雪ぽい、家内はみぞれと言っている。

ようやく風が無い。雲が横に縦に筆で描かれている。明日の天気は雪かなと思う。

ドンペリようやく無くなる。

帰り向かい風に向かって走る。ジョギングの人より遅い、人にあまり出会わない、どんどん忘れていく、知らないふり、かかわらない。

孫が近くなってきたようで、どきどきはらはらの態です。

きょうも風がすごくて富士がきれいで、帰りも秩父の山並みがはっきりして、富士の薄赤いシルエットも見ごたえありました。かりなさんのは、この字のタイトルは古い。

自分でしている事に自信がないので、再度の確認をするのだけど、確認自体に錯誤があると、正解は出ない。行動に自信はないのだけど、ない所で生きてる。ないという生き方はそれはそれでも生きている。

キャンデューでレーズンを買ってくる。平日の夕方のヨーカドーは、人がたゆたっている。

木村さんと三浦さんは、やめて、西内さんはまあまあで、吉高さんのは話がつまらないのは設定なのか、吉高さん自身はなかなかいい、松さんのは中途かな。

テレビに出ていた三ツ星のシェフの話し方が印象深い、料理も同じようで哲学的だ。シチューを作る。ホワイトなので、野菜はそのまま茹で、鶏肉は弱火でゆっくり焼いて一緒にする。きれいな白。レーズンを買ってこなければ、川越のロヂャースに行こうと思う。ロヂャースが近くに出来ればと思う。

ようやく風がおさまって、楽に走ってきた。夕焼けで白っぽく富士のシルエットに秩父の山の連なりがきれいでした。

そういえば、ごはんのお茶碗は置いたまま食べている。だいぶ前から。マナーは良くないと思う。左手は空いている。なんかご飯に一生懸命になりたくない。

足が地に付いた生き方が出来るのか。他人との交わりの中に未来があるのか。人生が作られていくのか。

娘がロールキャベツをつくってくれて、家内が泣く。妹もよく泣くけど、私はドラマ見て泣くけど、人には優しくないのかな。

おでんを再度作るが、今回はマミーマートで少し変わったものを買ってくる。ホタルイカは少し好評。

他人がたくさん歩いている。自分もその中を歩く。よけていって、端っこにいる。立ち止まって後ろを見る。その勢いに、ふとめまいを感じて、力が抜けていく。

人間は立っている。バランスです。感覚です。歩いて走って、考えて哲学している。読んでいて、本を抱えている。

朝の富士山がきれいです。

江戸についての本を読んでいるが、いまひとつわからない。粋とか通とかおしゃれなんだけど、裕福な町人の世界なのだろうか。余裕がないと出来ない趣味の世界だ。

身の丈に合った暮らし、どういう事なんだろう。

忘れていたけど、今日は結婚記念日だった。ピザを取ってレトルトカレーを食べる。

実家の片付けに行く、風呂場と洗面所。歯ブラシの未使用品がたくさん出てきた。空っぽにして、ゴミ袋は4つ程、細かいもので使えそうなものを持ってきた。万年筆は少し洗ったら書けた。トレファクに持っていく予定。

昔、湯豆腐の鍋には、小さい金物の入れ物に、醤油と鰹節を入れていた。豆腐を入れて食べていた。この金物はしばらく前に手に入れて使っている。スキ焼には、マメという部位のものを入れていた。これは今の所食べていない。

今日の夕飯は出来た後にハムエッグを追加して貰う。新しいものがたくさん出てきているが、できるだけ手を出さない。そういうものの資料を読んだり見たりするのは好きなのに決して手に入れる事は無い。使っているもので、支障が出ると考える。

今日の夕飯は一品多かったようで、食べ過ぎた。最後に納豆を食べたりするのだけど、今日はパス。寒波が来ますと脅かしておいて、今朝は暖かい。明日から寒くなるみたい。この前寒かったけど、そんなものかな。

慰安婦像で、問題なのは何なのだろう。事実だとしたら、消す事は出来ないのだから、像を教訓とすべきだろう。10億出したのだから、黙ってろと言うのは変だ。

昨日は、おでんを作るのに具材を買いにヤオコーに行く、練り物はここで買い、何点かはビッグAで買う、紀文の商品はパスするので、そういう事をする。ヤオコーで魚を見ていて、厚切りで安いなと思う、ビックAは薄いのに同じ値段だから高いと思う。魚は厚切りのものがおいしい。スーパーもいろいろあるけれど、安いと思っても、必ずしもすべてじゃないみたい。今朝日を読んでいるが、新しい事が知れて、面白い。読売はそうでもなかった。

他人の事を考える事をつい忘れてしまうと、否定的な思いが湧いてきて、ひとりよがりだなと、自分の事が嫌になってくる。

人間は弱い生き物で、なにかに寄っていたいと思っている。寄る辺の無い人生を生きている人も、繋がりを、得られれば、安寧な終わりを持てる。ただその時は独りになる。

朝日の民主主義は、面白い。考えないもの、多数決の意味、100人の人間では、100種類の考えがあるので、多数決は意味が無い。トランプ氏が選ばれたのは、じゃんけんで勝ったようなもので、あまり意味が無い。大統領としての活躍で、今後、意味が出来てくる。クリントン氏でも同じ事。

記憶が曖昧になって、見ているものも、違ったものになり、知っているものも知らないものになる。古い自転車にかごを付ける、安いから背が低いので、載せても落ちないかと思う。

初日の出を見に大洗に行く、寒いったら、海辺まで行く、スーパー銭湯に入った後、私の名前のルーツを見てくる。町と内科とコンビにの支店名を写真に撮る。

喜多院を見学、大正通りから蔵つくりの方に出る、途中芋せんべいのお店による、ここはお客も少なく静か、菓子屋横丁の方に行く、中国語がよく聞こえる。人が少なめで、自転車で通れる。

野菜を買ってきて、本の整理、ポストにペンキのようなものを入れたとニュースで聞く、悪意は気持ちいいものなのか、鬱屈したものを、自分のなかに溜めないで、他人の心の軋みを、聞いてあげたい。

今日は、ほとんど何もしないで、過ごす。新聞を読み、ビデオを見る。雑誌が売れなくなったと書いてある、真央さんは最下位でも、めげない。ラーメン屋さんのご主人は、みんなに謝った。写真もなにもかも焼けてしまった。思い出は記憶のなかだけ。心が弱くなった人の事を考えて、傷ついた心に寄り添ってあげたい。

今年おしまいの日、休みは、妹は一日だけだって言ってたけど、そのぐらいでもいいか。

階段の上がり鼻に手すりを取り付けた。家内のお母さん用だけど、自分用でもある。今日の帰り、雨にあった。降りが強かったのだけど、Pコートと帽子で間に合った。

新聞の一面広告が、しばらく前から変わったみたい。ハナヤカでニギヤカで景気がいい。二面だと、もうびっくりだ。紙のものは売れなくなるみたいだけど、新聞の一面広告はなくならないといいと思う。いろんな会社が使えばいい。

最近、新聞の広告で見る時計の事が、値段の高いのが気になっている。普通の交流のデジタル時計なのに、¥10000近いとは。なにかが違うんだろうけど、うちの¥1000の電池の目覚まし時計と機能としては、同じなんだけどね。ネットで見たら値段なりに良さがわかるのだけど、交流は停電になった時、切れてしまうのが致命的で、再度電流が入った時には、初期化していて、役にたたなくなってしまう。蓄電池機能があると、値段なりかなと思う。

時期なので、鳥の足をあぶったものを食べた。そぱの肉屋さんのだけど、甘いタレでなくて、おいしかった。これは新発見です。今日は夕飯はわたしの番なのでおでんにしました。さといもの皮を剥くのに手間取る。

自分と他人とあって、自分は他人を考えていて、傷つけないようにするには、どうしたらいいのかと、常に考えている。常に考えないと、自分の事に精一杯になって、他人の事を忘れてしまうから、忘れないように、常に他人の事を、傷つけないように、考えて考えている。

ヘイトスピーチという言葉を、ニュースで聞いた。言葉の暴力で、悪意です。

右足の痛みが、ようやく落ち着いてきた、寝る時の、リンパ体操が、効いているようです。もうしばらく続けよう。

ここのところ、随分とあったかい。それなのに湯たんぽを使い始めている。

昼にピザが食べたいというので、近くのスーパーで買ってくる。グリルで焼直して貰い食べる。キノコのと野菜のカレー味を半分づつ、十分おいしい。どうも味オンチらしいので、自信はない。

今日、久しぶりに実家の片付けに行く。今日は下駄箱と階段下、ほとんどの靴を捨てる。電気代を払わないので、電灯が点かない。それなのに玄関の所のライトは、なぜ点くのだろうか。

トマトのシチューを買ってきたのだけど、どうも売れない品物らしくて、見切り品の所にあった。250円ぐらいするので、ちょっと高いかな。

朝、止んでると思っていたら、雨が降っていたので、準備するのも面倒なので、Pコートで出た。以外と小雨ぐらいは、どうって事もなかった。自転車で道の左側を走っていて、前から来る自転車は、「悪意」があるとしか思えない。

スーパーで帰り買い物をするのたけど、だいぶ前に買って作ったトマト味のシチューが気に入ったので、また買おうと思ったのだが、今日見たらどうも売っていないようだ。また別の店で見てみよう。

成宮さんが書いた言葉とニュースで女性をホームから押して線路に落とした男について言われた言葉、「悪意」、とは。成宮さんのは、報道に対してで、男は自らの不運不満不幸を晴らす為、人に対して「悪意」を持って突き飛ばし殺そうとした。「犯罪」です。報道は「犯罪」ではないけど、顔の無い「悪意」です。

ダイレックスで、買い物をする、帰りしまむらで、二畳分の敷物を買う。裸足でも暖かい。古い自転車を出して使う、だいぶ使っていなかったのに、空気が抜けていない。ペダルの所がカタカタいうぐらいで、まだ使えそう。

夜、風があって、寒い。郵便受けを新しくする。今度は横長でA4でも入るもの。読売新聞の人生ゲームをダンボールに貼る。たぶんゲームは、しない。業務スーパーのカレンダーを貰ってくる。1年分1枚で1日毎の書き込みが出来る。今日はほとんど仕事をしないで、おでんを作っていた。

人は幸福でなくても、不満があっても、誠実に生きようとしている。背負っているものは、家族か。残すものは、真情。

幸福感と満足感は、不幸と不満は、悪意かな。

この時期らしい寒さになった。腰から下は、真夏といっしょのかっこうなのだけど、歳だから変えた方がいいのかな。と思うだけ。

食は性につながる、ただ気持ちが悪い。昔から、「無」というのに、ひかれ、秋山さんの「無用の用」とか唐木さんの「無常」とか、題名にひかれる。「存在と無」とか、「無刀取り」とか。人には悪意を持つ、性癖があるようです。これは明日。

親の記憶は、わたしの親の記憶なのだけど、兄弟にはまた違う記憶がある。実家にある、親の痕跡を端から捨てているのだけど、すべて捨てきった時に、というか、そこに近いところまできたら、写真や日記の類が残って、やはり残っちゃうね。

数が、変化して、問題だったり、答えになったりする。言葉も変化して、決定的な結論を、結ぶ。とまれ、間違いです。思想の無い人は、固執しないけど、流されていく。知らない事は罪か。知っていても、何もしなければ、罪か。

なにもしないは少し違うんだけど、どうしてもというのは、かたちにこだわっているようで。言葉が溢れる程に流れていると、どうも滞って、立ち止まってしまう。反対に「死」と言う言葉だけだったら、妄想が、もくもくと立ち昇って、そこに落ちてしまう。「仕舞う」って、終わりという事で、この閉塞感は、ふと眠りに落ちる。

行事って、昔はこだわっていたけど、最近は何もしない。

アメリカの大統領はなかなかモヤモヤしていて、納得しないみたいだけど、こういう時はむこうの人はどうするんだろう。帰りカレーが食べたいなと思う。この程度ではないだろうね。深刻だ。

100円ショップで、自転車のハンドルカバーを買ってきて、使っている。どうも見た目が嫌なのだが、朝、手袋の指の先が痛くなるのが緩和され、雨の日スーパーで昼ごはんを買う時に手袋を取った後、びしょびしょになった手で再度手袋はつけられないので、そのままでは、手がかじかんでしまうので、とにかく楽、使わない時は前に垂らしておける。

親がいなくなって、気持ちが、感覚が、考え方が、モノの見方が、接し方が、変わった。親は見ている存在だったけど、もう見てはくれない。

鳥の卵とじのすき焼きは、作りました。土鍋一杯に50CCの天つゆ、さっぱりしておいしかった。ダイソーで、綿棒を買う、350本も入っている。マスクは30枚入りがある。ほとんど買わないのだけど、見てるのは楽しい。

いろいろな新しい行事が、外国からやってくる。こちらにもたくさん行事があるのに、忙しい事。きょうは土鍋で、鳥のすき焼きを作る予定だったけど、もしかしたら明日かな。風呂場のガス栓が、堅くて締められなくなり、瓦斯屋さんに来てもらい、付け直して貰う。

宿の夕飯は出されたものを食べるのではなく、自分の食べたいものを少しづつ、取ってきて食べるのがいい。

今年は随分に久しぶりに、一泊旅行をプレゼントされる。

昔からやっていた事が、嫌になって、変えたくなる。箸は決まったものを一そろい使っていたが、嫌になったので、使っていたものは捨てて、安い色違いのものを三セットほど、箸入れに入れて、適当に二本取って使っている。お茶碗も本当は変えたいのだけど、いくつも置いておくのは面倒なので、変えられないでいる。お茶碗は手に取らないでご飯を食べる。歳のせいかな。

床屋さんはやたら目に付く、古いお店なのに、1000円カットと窓に書いてある店もある。普通の店で、ちょうど横になっているのが見えるお店もある。最近は空と書いた駐車場が増えたようです。昔と同じではないようです。

頭を刈ってくる、とにかく昔から、なんでそんなに色々やるのか、不思議だったし嫌だったけど、1000円カットが出来て、すごく気に入っている、私にとっては、髪の毛を短く切ってくれれば、他はなにもいらないのだ。ヒゲをきれいに剃りたければ、それだけをして貰えばいい事で、洗髪ぐらいは自分でやればいい。1000円カットのお店が随分増えて、普通の床屋さんは大変だろうけど、技術としては、上だろうから、1000円カットでお客を取り戻せ。

定食屋に行く、何故かお客さんが一杯、どうしちゃったんでしょう。てんぷらの油が疲れてしまっているようです。

保育士と介護士のお給料はなんで少ないのか、結婚も出来ないなんて。

最近はおかずを残す、以前は食べてしまっていたのを、抑制が効くようになった。年寄りの少食。

髪の毛が巻いて横に広がり始めて、面倒です。腰を痛めて、足も痛くして、帰りにスピードを出したら、途端に痛くて歩けなくなった。無理はしないに限ると、思う。

ロヂャースに干しぶどうを買いに行く。ついでに2階で、ちゃんちゃんこを買う。前のがまだ大丈夫なのだけど、替わりばんこに使うつもり、ポリエステルなので、静電気が起きると思う。免許証は返還するか迷っている。もう運転していないのだけど、もしかすると運転する場合があるかも知れないので、どうしようかね。そうだ昼は、かつやのカツカレーの真ん中を食べた。ピンク色のお肉で、揚げ加減がうまくて、おいしかった。カレーも丁度いい。水上公園の近くを、自転車で走っていて、スレスレで追い越す車が怖かった。知らない道は、あまり通りたくない、こんな道を通る事になったりするから。

親の記憶は、わたしが生きている内は頭にある。親の住んでいた家には、知らない親もいる。端から捨てていくのは、何故かすごい快感である。記録されたものを、すべて消去していくと、残るのは、写真一枚になる。わたしがいなくなる時に写真も無くなる。

大変な事になっているようです。でも変わらず生活していくと思う。

帰りほとんど灯かりが無い所を走ります。もちろん自転車で。そこをジョギングしている人がいます。出来れば点滅する灯かりを点けて走ってください。

腰のあたりを痛くした。毎晩シップをしている。バカリズムの本のドラマが面白い、撮り方も面白い。

ヨーグルト200に小さじ一杯の薄甘のつぶ餡に干しぶどうを一掴み入れてよくかき混ぜて、夜食べています。もしかしたら体に悪いのかと、たまに思ったりします。

命を投げ出さないでと、加川良さんが、歌っている。命を弄ばないで、命を粗末にしないで、命を軽く扱わないで、あなたとわたしとすべての命あるものたちの、生きている事の証しのすべてを。

朝きれいに雪をかぶった富士山を見る。夜は三日月に金星を見る。いい景色。

座ってる目の前にバッファローのスピーカーを置く。なかなかで、最近は音にこだわっている。森田童子を聞いてみた。意外とファンがいるみたい。

知らない事で、責められて、謝ってくださいと言われる。あなたは誰ですか。あなたはなにを知っているのですか。あなたはなにも知らない。わたしも知らない。なのに、責めるのですね。それはあなたの言葉ですか。他の人の言葉ですか。

朝、雨の中合羽に長靴で出る、昼には晴れたので、なんだろうと言う天気。寒いので、フリースにウインドブレイカーの上に合羽を着る。マフラーに手袋も。

一日一日が、あまり記憶に残らないので、今年もあと二ヶ月になるのに、あっと言う間だね、母の死は四ヶ月前だけど、随分昔の事のように思える。

久しぶりの買取、映画と音楽関係、ただすでに持っているものが多い。よくある本なのかなと思う。

実家から貰ってきたイヤホンを使う。だいぶいいものみたいで、音楽が以前聞いていたものとは、別物になった。でも耳には10分くらいが、いいところ。知らない事はたくさんあるのだけど、全部を知る必要はない。ほとほどで。土曜日のわたしの夕飯はおでんにした。

朝は五速で行き、帰りは四速で走ってくる。帰りは雨の中カッパを着る。左側を走るのだけど、右側を走って来る人とぶつかりそうになる。右側に逸れてあげる。

実家にお酒が数本有り、ナポレオンとドンペリとあと1本が開封していない。10年以上前からあったもの。片付けは大変なのだけど、楽しい。

朝薄く富士山が見えた。帰り夕焼けの中に薄くシルエットの富士山が見えた。少々暑い日。

きょうは寒かった。黒豆の枝豆を食べる。味が濃い。

ビバで、灯油の18リットルタンクと灯油を買う。リッター47円で、だいぶ安くなっている。トヨトミのストーブも見る。小さくていいのだけど、家内は使えるものは、どんな状態でも、使い続けるので、またマッチで火を点ける事になりそう。

実家の、玄関の木の、上部を切る。次回はもう少し切ろう。ヤオコーでお鍋セットを買ってきたのだけど、袋が小さくて斜めになってしまい食材が横に寄ってしまった。ボブ・ディランはなんで、ノーベル賞に無関心なのか、選考委員はなぜボブ・ディランの態度に対して批判するのか。わたし事ではないから、どうでもいい事だけど、突っ張っていて、本当は面白い。

帰り、田圃で藁を燃やしていて、3本の煙りが、横にたなびいて帯状に滞って、200メートルぐらいにそれが延びて、車も走りにくそう。

暑い日と寒い日が、交互というのは、どういう事なんだろうか。これが普通の事になったら、結局は慣れてしまうんだろうか。

知り合いに出会ったら、だいぶ体調が悪いようだ。病院通いで実家にいるようだけど、意外とさっぱりしている。自分の境涯に納得して尚且つそこに平然と立っていられる覚悟が若いのに、持っているようだ。

ギョウザは好きなので、お店とか冷凍とか、食べるのだけど、焼きたてなら、たいがいおいしい。ただし、これまでおいしいと思ったのは、家の奥さんの大きくて丸い平べったい手作りギョウザと、さいたま市にある、「餃子のヨコミゾ」の冷凍餃子です。娘が持ってきてくれたのですが、これはおいしいと思った。わたしはたぶん味オンチらしいのだけど、娘と家内もおいしいと云うのだから、おいしいに違いない。

自転車を調節して、少し乗り回す、変速を試してみるが、あまりよくわからない。かごや時計ライトなど付けて、古い自転車は、きれいにして、油を入れて、それに乗って、ビニールやチェーンなど買いに行く。かちゃかちゃはなくならないが楽に走る、家の裏になんとか、3台置こうと試みる。

昨日は帰りに、きれいな月が後ろで、左側に夕焼けに刷いたような雲で、明日は晴れるみたい。帰って外に食べに行ったついでに、カチャカチャ云う自転車を見て貰うと、もう駄目ですねと言われた。今日はお寺に行く予定で、ただ少々暑かった。帰って自転車さんに行く、アサヒです。2万円ぐらいで、27インチでタイヤがパンクしずらいので、変速6段にした。色はオレンジ。今夜は土曜日でいつも通りで、わたしの食事当番、カツカレーで、キャベツを切ってシーチキンとマヨネーズにほしぶどうとゆでたまごをまぜたもの、カレーは業務スーパーのレトルト、とんかつは近所のお肉やさんにごはんが炊けてから、揚げて貰い、熱々を食べた。衣がサクサクでおいしかった。でもやけどする程ではないので、もう少しでした。

帰りにスーパーに寄る。きのうは、牛乳を、きょうはパンを、きょうはついでにおせんべいを買ってきたけど、すごい久しぶりです。

帰り、橋の上から後ろを見ると、遠くの高台の森から、黒い煙りがモクモクと溢れてきていて、それが、高く横に流れている。火事みたいだけど、随分黒いなと、おもっていたら、家についたら、ニュースでやっていた。

石原さんのと新垣さんのが、今のところ面白い。

久しぶりに、うちの奥さんと、自転車て゜出る。川越から入間川そして狭山と周ってきた。久しぶりにカツカレーを食べた。やけどするぐらいの、揚げたてとんかつに熱いカレーでなくてはいけない。これではもういかない。

急に冬になったような、すぐにお腹を冷やしてしまいます。トイレを我慢しながら、ドラマを見ていました。いつも外では、ベストを着ていて、やばいと思ったらすぐに、ベストの前を合わせます。

昼に駅で妹と会って、ビールを少し飲みながら、しらす丼を食べてから、家に向かう、今回は紐を持参、紙類を5個作って、ビデオも4個作って。部屋の箪笥にカビが浮いているので、除湿剤も置いて、帰宅。帰りに吉野家でビールを飲んでから、帰る。また2週間後。この家は、父の亡くなった後に、相続の手続きを、私がやったのですが、その話は、また今度。

数年前に父が、亡くなり、6月に母がなくなって、親がいなくなって、実家が、残ったのだけど、今月から、妹と片付けに出かけている。明日が2回目です。

朝、新河岸川の橋の上から、薄くシルエットの富士山を久しぶりに見ました。夕方、沈む太陽の光りが雲からあふれていて、青空にグレーや茶の薄い雲と、厚い黒い雲が太い帯状に空全体360度に、広がっています。

コマーシャルで、ジャズの雑誌らしいものの最後に、レコードのプレーヤーらしいのを宣伝していたのを見たのだけど、それってもしかしたら、レコードの雑誌なのだろうか、でもまさか、レコードですかね。

音楽はカセットテープ、レコード、MD、CD、映像は、VHSとベーダのビデオ、8ミリ、レーザーディスク、DVD、ブルーレイと、いろいろ出て来てるけど、結局無くなっても、何故か、再度出てくるものがあります。最近、VHSのビデオの、デッキが、作られなくなりました。今後どうなるかは、まだわかりませんが。

パソコンは使っている割には、さっぱり覚えていないものばかりです。実際は見ているだけで、使っているとは云えないのかもしれません。

自分では、あまり思っていないのですけど、歳を取っているのに、頭の中にその意識が少ないのです。

この文章はダミーです。文字の大きさ、量、字間、行間等を確認するために入れています。この文章はダミーです。文字の大きさ、量、字間、行間等を確認するために入れています。この文章はダミーです。文字の大きさ、量、字間、行間等を確認するために入れています。この文章はダミーです。文字の大きさ、量、字間、行間等を確認するために入れています。この文章はダミーです。文字の大きさ、量、字間、行間等を確認するために入れています。この文章はダミーです。文字の大きさ、量、字間、行間等を確認するために入れています。この文章はダミーです。文字の大きさ、量、字間、行間等を確認するために入れています。この文章はダミーです。文字の大きさ、量、字間、行間等を確認するために入れています。この文章はダミーです。文字の大きさ、量、字間、行間等を確認するために入れています。この文章はダミーです。文字の大きさ、量、字間、行間等を確認するために入れています。

段落の見出し

この文章はダミーです。文字の大きさ、量、字間、行間等を確認するために入れています。この文章はダミーです。文字の大きさ、量、字間、行間等を確認するために入れています。この文章はダミーです。文字の大きさ、量、字間、行間等を確認するために入れています。この文章はダミーです。文字の大きさ、量、字間、行間等を確認するために入れています。この文章はダミーです。

inserted by FC2 system